学習室
なぜ日本語はこんなにも複雑なのでしょうか。数千あるといわれる世界中の言語と比較したわけではないので断定はできませんが、少なくてもメジャーな国の中ではトップクラスの複雑さだと思います。発音が簡単なのがせめてもの救いでしょうか。
日本語の特徴をいくつかあげてみましょう。
(1) はともかく、それ以外は他の言語でも多く見られる特徴かもしれません。しかし、これらすべての特徴を併せ持つ言語はまずないでしょう。真偽のほどは定かではありませんが、かのフランシスコ・ザビエルも日本を訪れたとき、そのあまりの複雑さに「日本語は悪魔の言語だ」と言ったとか。
これほどまでに複雑な日本語です。日本語学習者だけでなく日本人でさえ完璧に使える人はそう多くないでしょう。よく「言葉の乱れ」なんて言ったりしますが、乱れるも何も実は習得できていないだけではないのか、と思ったりもします。
そんなわけで、どんな人でも「言葉の誤用」は必ずあると思います。日常ではちょっと恥をかく程度ですみますが、文章を書いて不特定多数の人に見てもらうときにそれでは困ります。ろくに言葉も知らない作者の作品なんて誰も読んでくれません。言葉の誤用は確実になくしましょう。
ちなみに言葉の誤用を避ける方法ですが、言葉の表現の言葉の使い分けでも述べたとおり、もちろん辞書を引くことです。面倒なことはありません。ネット上の辞典や電子辞書を使えば簡単です。ただし、Googleなどの検索結果は誤用の検索数のほうが多いこともありますので、気をつけましょう。
使い方や使いどころを間違いやすい言葉です。他の言葉と意味が似ていたり、表現が紛らわしかったりするものに多いようです。全部を取り上げることはできないので、代表的なものを5つほどご紹介します。
(1) は卑怯、汚い手口という意味で使われることが多いのですが、これは誤りです。「姑息」という言葉自体に卑怯の意味はありません。どちらかといえば、卑怯という分類の中に姑息が含まれている感じでしょうか。使われるシチュエーションが似ているので間違えやすい言葉です。
(2) は割と有名な誤用だと思います。役者の力に対して「役」が「不足」しているから「役不足」というのですが、どうやら「不足」繋がりの似た言葉「力不足」と間違って使ってしまうことがあるようです。これでは意味がまるで正反対です。
(3) については、ドラマなどで「自首するんだ」と指名手配中の犯人に呼びかけるシーンが未だにあったりします。一気にしらけてしまいます。これは「自首」の「自」が「みずから」と読めることが関係しているように思います。つまり“自ら捜査機関に出向くこと=自首”という思い込みです。
(4) に関しては、今ではほとんどの場面で「悪いと思いつつ行われること」の意味で使われています。おそらく「犯罪=悪いこと」という一般通念から「確信」という部分を「悪いことと確信している」と捉え、広い意味として使っているのでしょう。
(5) は諺です。「情けは人のためならず、めぐりめぐりて己が身のため」と言われることもあり、本来は「情けをかけましょう」という意味ですが、「めぐりめぐりて〜」がない上に文末の「ならず」が否定として印象が強いので、そのまま「情けは人のためにならない」と解釈されたりするようです。これでは諺である意味がありません。
一部ではありますが、以上のようにどの言葉にも誤用の陰にそれなりの理由があります。しかし結局は勘違い、思い込み、早合点によるものがほとんどです。知らない言葉はもとより、知っていると思っている言葉でも必ずは1度は辞書を引くよう心がけましょう。
間違って覚えてしまった言葉です。聞きかじった言葉や、漢字があるはずなのに変換できない言葉は要注意です。全部を取り上げることはできないので、代表的なものを5つほどご紹介します。なお、誤用の参考例として Google での検索結果も載せています。
※検索結果は 2007/12/28 時点のものです。
(1) は口語をそのまま文語にしてしまったものです。わかっていて使っているケースもあると思いますが、検索結果の件数だけを見るとかなりの数です。このままでは“ネタ”が“ベタ”になる(誤りだとわかっていたものが、いつのまにか正しいこととして定着すること)かもしれません。
(2) は「風の便り」という言葉が噂のことを指しています。つまり“風の便り=噂”です。これを「風の噂」としてしまったら何の喩えにもならず「風の」を付ける意味がありません。にもかかわらず、検索結果の半数以上が誤用です。まさに“ネタ”が“ベタ”になっています。
(3) は善いもの(玉)と悪いもの(石)がいり混じっていて区別つかない様子を指し示す言葉ですが、「混淆」と「混合」との意味や音が似ているため、間違ってしまったのでしょう。いわゆる聞き違いです。
(4) は隙を突き、卑怯な手口などで失敗させることを意味する言葉です。おそらく、この言葉と「足下に火が付く」「足下を見る」「足下に付け込む」などの言葉が混ざって「足下をすくう」となったと思われます。
(5) は「口もとに笑みがこぼれる」といった文を「口もとに笑顔がこぼれる」とすると、おかしな表現であることがすぐにわかります。また「満面の笑顔」も同じく誤用です。“顔じゅうが笑顔”といっているようなものです。正しくは「満面の笑み」です。
今回は意味の間違いと違って言葉自体の間違いなので Google を使って誤用の実態を調べてみました。多少の誤差はあるかもしれませんが、なるべく結果がずれないように検索する言葉を限定しています。
なお検索結果のデータは 2007/12/28 時点のものです。ご自身で検索される場合は、Google の検索フォームにかぎ括弧内の語句をそのままカット&ペーストしてください。ダブルクォーテーションも含みます。詳しくはGoogle 検索の基本をご覧ください。
これは言葉の中でも同音による漢字の間違いです。つまり同音異義語による誤字です。おそらく、これがカナ漢字変換の一番の弊害でしょう。全部を取り上げることはできないので、代表的なものを5つほどご紹介します。なお、誤用の参考例として Google での検索結果も載せています。
※検索結果は 2007/12/29 時点のものです。
(1) はかなり多く見られる誤用です。意味としては「今になっても」「今もって」ということなので「今だに」と間違えているのだと思います。「いまだに」では変換できないので、おそらく「いまだ」で変換するのだと思いますが、むりやり変換してまで使うことはありません。
(2) は完全に“ネタ”が“ベタ”となっています。そもそも「喝」は大声を出すことであり、禅宗で励まし叱るときの叫び声です。したがって某親分の「喝!」は正しいのですが「喝を入れる」は誤りです。叱咤激励の意味で使っている方もおられると思いますが、誤用なので気をつけましょう。
(3) は追いつめられて逃れようのない状態という意味ですが、これは「体も命も絶たれるほどの状態」のことであり、何が何でも(絶対)命を絶たれる(絶命)、ということではありません。変換ミスによる誤用がほとんどだと思いますが、じゅうぶん注意しましょう。
(4) は説明するまでもなく、予め判断することができない、という意味です。これもその多くは変換ミスだと思いますが、「余談を許さない」では少し厳しすぎます。余談くらいは許してあげましょう。
(5) は人が去ったあとの家や寝床などを喩えるときに使う言葉で、もともとは「蛻(ヘビやセミが脱皮すること)の抜け殻」という意味なのですが、おそらく内部に何もないことを指して、“殻”と同じ意味を持つ“空”が使われているのだと思います。意味は伝わりますがこれも誤用です。
漢字自体の間違いということで、今回も Google を使って誤用の実態を調べてみました。(4) (5) は成句としての性格が強いので誤用の件数はそれほど多くありませんが、(1) (2) はかなり厳しい結果となっています。漢字の間違いは単純なミスだけに、書き手の言葉に対する真摯さがダイレクトに表れます。常に気を配るようにしましょう。
なお検索結果のデータは 2007/12/29 時点のものです。ご自身で検索される場合は、Google の検索フォームにかぎ括弧内の語句をそのままカット&ペーストしてください。ダブルクォーテーションも含みます。詳しくはGoogle 検索の基本をご覧ください。
同じ意味の言葉や、似た表現の言葉を混ぜて覚えてしまったものです。全部を取り上げることはできないので、代表的なものを5つほどご紹介します。なお、誤用の参考例として Google での検索結果も載せています。
※検索結果は 2007/12/30 時点のものです。
(1) はもともと「否でも応でも」といい、否(NO)であっても応(YES)であっても、という意味です。それがいつしか「否が応でも」というようになり、よく似た「弥が上にも」と混同されるようになったのでしょう。ちなみに「弥が上にも」は「なお、いっそう」「なお、その上ますます」という意味です。
(2) は想像もできないという意味の慣用句ですが、これは「思いつきもしない」や「考えもつかない」などと混同しているのだと思います。意味的にはじゅうぶん伝わりますが、正確な言葉を使いたいのであれば気をつけましょう。
(3) は「屈辱を晴らす」と混同して「雪辱を晴らす」となっているのだと思いますが、「雪辱」とは辱(はじ)を雪(そそ)ぐことを意味し、それを果たすので「雪辱を果たす」となります。「晴らす」だと意味が重なってしまいます。
(4) は口先だけで内実の伴わないことを指す言葉ですが、その意味としての“口先”と“舌先”とが混同されて「口先三寸」となってしまったのでしょう。意味は伝わりますが、これも誤用なので注意しましょう。
(5) は進むのをためらうことを意味する慣用句ですが、「二の舞を演じる」と混同して「二の舞を踏む」となっているのでしょう。一般的には誤用とされています。「二の舞を演じる」は前の人の失敗を繰り返すこと意味する慣用句です。
混合表現も間違いが言葉としてはっきりと残るので、 Google を使って誤用の実態を調べてみました。(2) (4) はそのまま意味が伝わり、言葉としての違和感も少ないせいか、誤用の件数がかなり多くなっています。また (5) は「〜の二の舞だ」というような使い方が多く、「二の舞を踏む」という言葉自体あまり使われていないようです。中には完全に誤用だと言い切れないものもありますが、誤用の可能性がある限り使わないほうが賢明です。正しいとされる言葉があるのですから、そちらを使うようにしましょう。
なお検索結果のデータは 2007/12/30 時点のものです。ご自身で検索される場合は、Google の検索フォームにかぎ括弧内の語句をそのままカット&ペーストしてください。ダブルクォーテーションも含みます。詳しくはGoogle 検索の基本をご覧ください。
同じ意味の言葉を重ねてしまったものです。おそらく日常会話などで、一般化しすぎて意味が薄れてしまった言葉の強調(まず→まず最初に)や、日常ではあまり聞かない言葉を補強(轍→轍の跡)するために使われるようになったものと思われます。スムーズな会話のために生まれた知恵といったところでしょうか。日常会話ではある程度許容されますが、これは誤用なので文章での使用は控えましょう。
全部を取り上げることはできないので、ここでは代表的なものを5つほどご紹介します。なお、誤用の参考例として Google での検索結果も載せています。
※検索結果は 2007/12/31 時点のものです。
(1) は「古来」の“来”自体に「ある時点から今まで」という意味があるので、“から”や“より”をつけると意味が重複してしまいします。「古来」を使う場合は「古来日本では〜」や「古来、日本では〜」としましょう。
(2) は「今の現状」だと“今の現在の状況”ということになり意味が重複しています。“今の”をつけずに「現状」とするか「今(現在)の状況」としましょう。
(3) は“後で悔やむ”から「後悔」なのであって“後から”をつけると意味が重複してしまいます。活字にすると「後」が2つ並ぶために不自然さも目立ちます。気をつけましょう。
(4) はかなり有名だと思いますが、「犯罪」の“犯”と“犯す”の意味が重複しています。一部では特殊な例として許容されているようですが、(3) と同じく活字にすると「犯」が2つ並ぶので、使用は避けたほうがいいでしょう。
(5) は「炎天(やけつくような夏の暑い空)」の“下”という意味で「炎天下」です。これに“〜のもと”や“〜の下”をつけてしまうと意味が重複してしまいます。また「炎天下の中」も同じく誤用です。
重複表現も間違いが言葉としてはっきりと残るので、 Google を使って誤用の実態を調べてみました。(4) は有名なためそれほどではありませんが、それ以外はやはりそのままでは表現が弱いと感じるせいか、かなり誤用が多く見られます。気持ちはわかりますが、活字では (3) (4) のように漢字が重なって見た目的にもうるさくなるので、重複表現にはじゅうぶん注意しましょう。
なお検索結果のデータは 2007/12/31 時点のものです。ご自身で検索される場合は、Google の検索フォームにかぎ括弧内の語句をそのままカット&ペーストしてください。ダブルクォーテーションも含みます。詳しくはGoogle 検索の基本をご覧ください。